YouTubeにさみしいわたしの居場所を作りたい(8)

YouTubeにさみしいわたしの居場所を作りたい
08 /12 2016
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昨日の記事で自分の恥ずかしい思いを書き出したことにより、その後ずいぶんすっきりした気持ちで考えられました。
う〜ん、やっぱり創作の問題はわたしにとって根深いんだなぁ〜。

少し前の記事にも「プライドを捨てる、どう見られるかを気にしない」という関係のことを書いていて、ある程度人の目も気にならなくなったし、ずいぶん楽になったよなぁ〜と思っていたのですが、それは「創作以外」の部分だったみたいです。見た目とか、人間関係とか、日々の暮らしの中の考え方とか。

創作・・・描くこと、作ること、は、わたしにとって確かに人生の中の他の要素とはまったく別の・・・いや、人生の中で特別に大切なことみたいです。

でもそれならなおさら執着はしたくないなぁ。
きっと今まで無我夢中で徹底して集中しなかったから、わたしの中の創作に対する情熱のようなものがくすぶっているだけなんじゃないかしら?

いわゆる、かなわなかった恋は忘れられず、ずっと身を焦がすことになるような。

だったら、今、思いっきりやるだけやってみて、思いを昇華させてあげよう。

ずっと、一生やろう、ここしかわたしにはないかもしれない!みたいなことになると、やたら人生という言葉は心に重くのしかかってきて、この形じゃだめかも、とか、よりよくしないと!って身構えがち。

もっと軽くていいのかもしれない。

だって重たく見える人生、でさえ、結局今の積み重ねで、長く感じるの、気のせいなんだもんね。今しかないもんね。

気張りすぎなんじゃないかしら。創作に対して。

なにかを描くって、ものを作るって、楽しいね!
・・・それだけじゃだめなのかしら、わたしは。

そもそも「それだけ」って、本当に今まで一度でも、「なにかを描くって、ものを作るって、楽しいね!」って、全身全霊で楽しんだことがあるのかしら・・・?


あ、そうかぁ、だからコソコソしていたのかもしれない。
「これかなぁ〜?・・・あ〜違うかも・・・わかんないな〜・・・」っていつもうつろだったのは、本気で楽しもうとしたことがないからかもしれない。
「楽しい」という気持ちは、どこからか与えられるものであって、意識的に「楽しもう!」なんて思って動くものじゃないでしょ?って思ってた。
だから楽しいのか楽しくないのかよくわかんなかったのかもなぁ。
違うんだ、楽しい、楽しむ、って、もっと自発的なものなんだ。


「楽しむ」って、愛と似ているのかもしれない。
もし持っていないと思っていても、あるもの。
与えられるもの、人にも自分にも。
楽しいかどうかじゃなくて、自分から、楽しめばいいだけなんだ。
最初はヘタクソかもしれないけど、楽しむことだって、やればできる、慣れればカンタンに自然にできることなんだ。

そうかぁ、そうかぁ、わ〜すごい納得した!




YouTubeにさみしいわたしの居場所を作りたい、と思った。
ほかにもきっと、同じようなさみしい思いを抱えている人がいたら、その人にも「居場所があるよ」って言ってあげたいと思った。
でもそれは永久的に絶対な場所でなくてもいいのかもしれない。

ちょっと寄り道してもらえるような。
人が皆、それぞれしか歩めない道をひとりひとり歩いているなかで、「わたしの世界」という休憩所に寄って、一息ついてもらえるような。
それでいいのかもしれない。

だから「天国つくらなきゃ!」じゃなくて、わたしが天国にいればいいんじゃないかしら。
夢中で遊んで、本気で楽しんで、キャッキャと笑っていれば、そこは天国で、誰かにも一緒に楽しんで、笑ってもらえるんじゃないかしら。

そうやって今を本気で楽しんでいけば、あれこれ恥ずかしく思ったり気にしていたことなんて、いつのまにかどうでもよくなっていくような気がします。
それどころじゃないもんね、きっと。

慣れもあるし、クセもあるからね、少し疲れた隙に、またついついクヨクヨし始めた時は、まずは少し体を動かして、プライドや自意識におどらされるほど暇なら、今できるおもしろいことを考えようよ!

「まわりのことより、まずは真ん中の”それ”を震えるほどに楽しんでごらん。ほら手を動かして、つられて心も動かそう!」



つづく

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YouTubeにさみしいわたしの居場所を作りたい(7)

YouTubeにさみしいわたしの居場所を作りたい
08 /11 2016
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夢中になりたい。


創作の原動力ってどんなものでしょうか。

憧れの画家や作家はいつも素敵だな〜、こうありたいな〜という言葉や思いを残してくれています。
「作ることそれ自体が原動力だった」
「人の喜ぶ顔が目に浮かぶと頑張ろうという気になれた」
「ただひたすら作ることが好きで、夢中で、気がついたらずっとやっていた」
「自分にはこれしかなかった」

わたしにはわたしの場合しかないわけですが、いつもそんな「夢中な状態」に焦がれつつも、違いました。

「これで食べていけたらな〜」とか「ほかのことはなんにも考えないでただひたすらに創作できたらな〜」
って、思わなかったこと、多分あんまないです。邪念がいっぱい。

今も「どうしたらもっとたくさんの人にコブタTVを見てもらえるのかなぁ」「なんとかお仕事にしていきたいけどまだ全然方法も方向も見えなくて不安だな〜」って恥ずかしながらちょくちょく思っています。

あっ、これ自分の中で一番恥ずかしい気持ちかもしれない。
この、創作を仕事にしたい、と考えるとき思うのはこんなことです。

「あわよくば色んなメディアの形になって、そこそこ大儲けしたいな〜」(妄想の領域で、発展系で考えることもあり、ウットリして我にかえるとややむなしい。)

「そんなに大儲けしなくてもいいからお金のことは考えず、したいことをしていられるくらい稼げる仕事にしたいな〜」(これ今とてもリアルな思い)

「仕事にしたいとかお金にしたいとか考える時点で創作にたいしていやらしいんじゃないないかしら」(これはとてもよくない考えだと思うけど習慣的で、好きなことできればお金なんていらない!でしょ??って、作り手に周りが思わせてしまう場合もある危険な、でもわりと根付いてしまっている考え。人の創作に対してはこう思わないのに自分はなぜか別。)

「え〜これでお金になると思ってるの?図々しいんじゃない?って自分も人も思うだろうなぁ・・・」(自発的しょんもりで、「そんなことないよ、その価値あるよ!」って言って欲しい、甘えたな自分)

「あ〜あ誰かわたしの創作がとてもいい、と思ってくれる人があらわれてどんどん売り出して応援してくれないかな〜」(これ究極に恥ずかしいんですがちょっと思ってて、もう白馬の王子様を待ってるみたいなアレです)

「収入以前にどれをどのくらい見てもらっているかの数字が出てることが実力のなさを見せつけられているようでキツイ・・・!恥ずかしいからもうやめちゃおうかなぁ・・・」(今はここまで思わないけどキツイ、とは思っているかも。)

こんなことがぐるぐると頭をめぐるんですが、こうして文字にしてみるとちょっと他人事みたいになって冷静になります。



・・・あ〜、わたし、恥ずかしいんだな。
評価されないことが恥ずかしい、と思っているんだな。
そういう意味ではお金の問題じゃないのかもしれない。


過去にちょこちょこっと漫画やデザインやなんやかや創作的なことで偶発的に仕事をさせてもらえていたので、変なプライドみたいのがあって、今はもうゼロから、1から、なんだよね〜この歳で・・・!って、最も忌み嫌う考え方を、自分が自分にしているんだ。

今も「偶発的に」なんて書いちゃったけど、わたし、たくさん描いてたじゃない。たくさんたくさん考えて、作っていたじゃない。偶然、なんて言ってしまったら全てがそうだけど、ちゃんと好きでやってたことに結果出したりしてきたじゃない。なにをそんなにコソコソ恥ずかしがっているんだろう?

この歳で、っていうのも年齢なんて関係ない、「この歳」って思ってることが歳を感じさせるんだ、って思っているはずなのに、なぜに自分に対してはそんなに恥ずかしいのかな??

問題の本質が少し見えてきたような気がします。

恥ずかしさの正体、そして心から納得できる自分の創作のありかた、
これがもし心からわかると、とてもいい感じになってくる気がします。


それに、今の時点でも、ずいぶん以前よりは気持ち良く創作できているのです。
演技してアフレコとか冷静になるとなかなか恥ずかしいけど、そんなことよりコブタTVおもしろくしたい!っていうほうに必死で、恥ずかしがってる場合でないです。

できあがって配信したものにも時々「うわ〜これ失敗しちゃったな〜」って思ったりすることもあるのですが、「これも味だね!」って本気で思えるようにもなりました。

これはコブタTVが、すごくたくさん作らないと週5回分作れない、というのが大きいです。

じりじり時間かけて、締め切りもなくものを作るとなにが正解かわからなくなるので、とにかく今できる精一杯で作って、世に出したら未完成でも納得できてなくてもそれで完成!

失敗したら次はその分よくなるとこが増えるからそれでいいや!

あれこれ考えるより今やれることを楽しんで、なるべく笑って、おいしく食べて、グッスリ眠ろう!


もしかしたら、こうした日々を繰り返し、積み重ねていくなかで、「評価されないと恥ずかしい」というなんとも恥ずかしい気持ちも、それどころではなくなって、霧のようにちらばって消えていくのかしら。




つづく

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YouTubeにさみしいわたしの居場所を作りたい(6)

YouTubeにさみしいわたしの居場所を作りたい
08 /06 2016
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インターネットでちょっと笑える画像やつぶやきを見て笑って寝たいな〜とついつい探してしまう・・・とはコブタも言っていましたが、いまだにクセで見てしまいます。寝る前2時間のブルーライトはダメ!・・・でもついつい。

こないだちょっとハッとするつぶやきがありました。
子育てについてのつぶやきで、
「外出間際にこどもがモタモタしてイライラしてしまう時は、子供の何かをしてる手元を見るのではなく、表情、眼差しを見ているとその真剣さにずっと待っていられます」といった内容でした。


記憶がない。
今までの人生で一度でも他人にたいしてそうやって待った記憶がない。
言葉と態度が全てだった。「わたしに対する言葉と態度」が。

心に寄り添うとはこういうことでしょうか。

今までのわたしは本当に本当に、ひとりだと思っていたんだなぁ。
自分対世界。
世界がわたしにどう出るか。
それに対してわたしはどうするか。
それしかなかった。


失ったもの、壊してきたもの、傷つけたものは、人間関係だと思っていたけど、それさえ違う気がする。
わたしは一生懸命関わろうとしてくれた人と心から関わる「機会」を、壊して失ってきたんだ。

気づいてしまうと今までわたしに関わろうとしてくれて、あ〜この人自分しか見えてないな〜と思わせてしまったかたには申し訳なさでいっぱいになって、落ち込みそうになりますが、この気づきを今この時からの日々に活かせればいいなぁと思います。



たとえば、
電車や道で、ちょっとぶつかったりなんだりモヤモヤすることがあります。
そんな時でさえ、その表情、眼差しを見ると、疲れていたり、必死だったり、なにかに夢中だったり、寂しげだったり、
生きているんですよね。みんな。
なんとかかんとか一生懸命生きているだけで、ぶつかったわたしに対して笑ってやろうとか、迷惑をかけて困らせてやろうとか、そんなの微塵も思ってないんですよね。

でも自分しか見てないと、「なぜ、わたしに、そんなことをするのか」という感じになる。
なぜもなにも相手はわたしなんて見てないのに。そうは思えない。
だって、わたしか、わたしに対する世界か、しかないから。



わたしこそまさにその電車や道でぶつかったりなんだりしてる人でした。

必死に生きていて、ぶつかった相手も見えてない。
心は、息をとめて歯を食いしばって作り上げた自分だけのちいさな部屋を、ここだけは安全だと守ろうとして、まるでゴミ屋敷みたいな、いらない気持ちでいっぱいのその部屋で、ぎゅっと丸まって隠れていました。

ホント、ごめんなさい、お友達の皆さん、お知り合いの皆さん、そうだった皆さん。

過去はいい思い出として、これからはほんの少し、足を止めて、焦る気持ちを深呼吸でしずめて、その表情、眼差しを見ようと思います。
できればその心に寄り添えるように。


失ったものは戻らないけど、新しくつくることはできる。人は出会える。
もし今疎遠になってしまった人でも、また再会できる。出会い直せる。
まずはまた人と関わる機会をつくれたら、というのもコブタTVの原動力のひとつです。

「今わたしはこんなことして、こんなこと思ってますよ〜!元気ですよ〜!よろしければまたお会いしましょうね〜!まだ出会っていない、これからのお友達の皆さんも、どうぞよろしく〜!」


つづく

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YouTubeにさみしいわたしの居場所を作りたい(5)

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08 /05 2016
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今日新宿御苑に年間パスポートを作りに行ったのですが、少しワクワクしていました。


毎年このパスを作っているんですが、それまでパスに貼る写真は自分で用意していくシステムだったのが、去年からその場で写真を撮ってくれるようになったんです。ラクラク便利。

・・・それが、去年すっごいブス写真で、少しショックだったんですよね〜。

でも写真って、自分では写り悪いものでも、他の人から見るとまんまその人だったりするじゃないですか。
だから、その写真をまじまじと見ているうちに、なんだか笑えてきて、
「わたしってブスだな〜でもそこもかわいいな〜」と思えてきたのです。

これ、すごいことじゃないですか?

自意識過剰チームとしてはかなりすごいことじゃないですか??

頑張ってお化粧して、かわいく、もしくはきれいに、はたまたかっこよく見られたい、好かれたい、愛されたいと日々努力なのに、「ブス、でもそこもいい」と自分を愛おしく思える、って、自己肯定感低いことに気づくことさえできなかった、生きるのに必死すぎて味方じゃない人は全員敵なんじゃないかとビクビクして生きてますチームの人間にとっては、これ以上の成長がありますでしょうか。

今はまだそう思えない人がもし読んでいたら言いたい。
それ、きっと変わります、変えられます、あなたは必ず自分を心から愛せるから、大丈夫ですよ、ラクになる方法はたくさんありますよ、あなたに合ったやりかた、タイミングが必ずありますよ、大丈夫ですよ。


で、なにを本日ワクワクしていたかというと、おわかりですね、

今年はどんな顔で写るのか。

これです。
で、結果ですが、ブスでした。いい感じに。
係りのおじさんが「お写真これでよろしいですか」と聞いてくれたのは親切なのか同情なのかマニュアルなのか。
「大丈夫です!」と笑顔で受け取りました。
今年もブスパスを1年大切に持ち歩き、たまに見て笑おうと思います。


話がまたそれてますがこうしてどんどんラクになっていっているわたしは、コブタTVを始めよう!と、毎日スタバやタリーズで案を出し、人形を作り、セットをつくり、絵を描き、少しずつ、少しずつ、エンジンがかかってくるのを感じていました。

ああ、たのしい。ラクだ。わたしはやっぱりこうしてなにかを作っている方が、何もしないよりラクなんだ。

それまでたくさん本を読んで、考え、悩み、心の中をノートに書き、ものを捨て、人から離れ、心にたまったモヤモヤをひとつずつ片付けて、いいかげんそんな毎日にも飽きてきた頃、やっとやっと、「ワクワクする」という感覚を実に数十年ぶりに思い出したのです。

それと同時に、失ったもの、壊してきたもの、傷つけたものがたくさんあることがよくわかりました。


つづく

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YouTubeにさみしいわたしの居場所を作りたい(4)

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08 /04 2016
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むかしから、夢中な人に憧れていました。

わたしがいいなぁ、こうなりたいなぁ、と思う人はたいてい男性で、身なりにかまわず鏡の中の自分なんて見てないみたいな人。
なにを着るか、なにを持つか、なにを食べるかとかそんなことより今の興味に夢中な人。
そういう人に寄り添いたいというのはなくて、自分自身がそうなりたいな〜と思っていました。
でも日本はこういう国ですね〜、女性が身なりにかまわず、という時点で厳しい目が向けられます。

わたしはずいぶんTPOとか社会人としてうんぬんを気にしないで好きな格好をしてきたほうなのですが、それは「今、この服が着たいから!」とかではなくて、ずっと何者か自分以外のものになりたかったからです。
コンサバ、ボーイッシュ、ゴシック、ロリータファッション、アメカジ、ガーリー、いやもうほんとに色んな格好をしました。
何者かになりたくて。


30代の前半にニュージーランドにちょっと行ったのですが、その時、お化粧もせず、捨てて帰るつもりのTシャツで町を歩いた時、「周りの人なんて誰もわたしを見ていない。」ってとても気持ち良く感じました。
こういう感覚、海外に行くとよくあるそうですね。
日本に戻ったらすぐ消えてしまいましたが、ずっとその感覚が忘れられなくて、胸の奥にありました。

春までつづいたお片づけですっかり服もなくなって、お化粧もほぼやめてしまったので、今はその時の感じを味わえています。
いや、服がどうとかお化粧が、ってことじゃないんでしょうね。
「女を捨てたとか思われてもいいや。わたしはただのわたしで、このままが好きだ。」って心の底から思えたからです。

そもそも「女を捨てた」とかって誰が言うのかしら。
わたしはまだ言われたことないじゃない。
面と向かって言われたら、「自分を捨てるよりよほどいいよ」って言えるし、もしも陰で言われたなら、陰口を言うような人と付き合わなければいい。
そもそも条件付きの愛情なんていらない。
なんにも問題ないじゃない。

誤解がないように書きますが、わたしは女を捨てたいわけではないです。
正直どうでもいいとは思ってますが。
人を愛せる、優しい笑顔の人間でいたいです。
それにかわいいお洋服やお化粧はとても素敵だと思っています。
ただわたしの人生の優先順位をよく考えたらあまりにも順位が低かったから、大切なことを大切にするために、削ぎ落としたのです。

あっ、これもいいですよ、自分の優先順位を確認するの。
紙に今の自分がしてること、持ってるもの、大切なもの、こと、あれこれ書き出して、順位をつけて、なるべく下の方は捨てる、やめる、片をつける。
とても心や頭がすっきりと暮らせるのでオススメです。

わたしの優先順位は今コブタTVが上位3つの中にあるわけですが、いままで、わたしは自分に「なにか作らなければ存在価値はない」と枷をつけていました。
でもこの3年しつこく自分に向き合い、なにもなくても存在するだけでオッケーよ!ってとこまできましたので、もうなにも作らなくてもいいのかもな〜と思ってもいたのですが、作ること以外に、簡単に毎日できることが極端に少ないことにも気づきました。

人にはそうでもなくても、自分には簡単な(あるいはラクな)ことって、向いてることなんですって。
人と話すのが苦じゃない、むしろ楽しいとか(わたしは電話がホントに苦手で、もし電話の仕事についたらと思うともう絶望です)、お掃除が好きでたまらないとか、機械をいじっていたら時間をわすれてしまうとか。

わたしの場合はおそらく描くこと、作ること、表現することだと思います。(レベルとか才能がどうとかというより好き、スムーズに楽しめる、頑張らなくてもできることという意味です)


あれもちょっと描きたい、これもひとつ作りたい。そんなのならいっぱいいっぱい頭の中にある。でも、

なんのために?

作って、それ、どうするの?

ひとつのジャンルにまとまらないと発表しようもないし発展させられないんじゃない?つまり、作って満足できるならいいけど、表現したいならそれだけじゃダメよね??


そうやってうやむやにほったらかしたアイデアたちが、インターネットに居場所を見つけたのが「コブタTV」でした。

コブタTVという一つの世界で、わたしのできること、したいこと、楽しいと思うことが全部できる!そして、「さみしいな、と思わなくても居場所があるよ!いつもコブタが待ってるよ!」って誰かにちょっと立ち寄る場所を提供できるかもしれない!と、なんともワクワクしはじめたのです。

じつはここにも自分的にビックリがあります。
自分でいっぱいいっぱいだったわたしが、同じようにさみしく感じている、どこかで暮らす全然知らない人に、本気でラクになってほしい、って思っているなぁ・・・って。

もう、外に向いているんだね、その目は。


つづく

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武内香菜

25歳くらいの頃漫画家デビューして、3年間ほどホラー漫画を商業誌にて連載後、うつになり1年間ほど療養。
友人の映像制作会社立ち上げを手伝うなかで会社設立の流れを学び、2003年に(有)ユーデンフレームワークス を設立。在籍中に北米で漫画単行本を三巻出版。2011年講談社アフタヌーン誌にて四季賞を受賞。他、映像作品のキャラクター、衣装デザイン、企画用イメージイラスト作成などの機会をいただいていました。代表取締役として10年間勤務した同社を2013年退職。
今までの人生、いろんなことをやったのに、何がしたいかわからない自分に3年間みっちり向き合った後、2016年7月からYouTubeにて「コブタTV」というおやすみ前の3分間癒し番組を始めました。

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