こなしてしまうわたし

日記
09 /24 2016
締め切りを守るのが得意です!
それが誰に頼まれたわけでもなく、自分で課したものであっても、こなすのが得意です!



・・・いやなの、これ。

今コブタTVやってるでしょ?
週に5回分、わたしにとってはなかなかの作業量で、しんどい時も多いのですが、こなしちゃうの。
でね、なにがいやかって、「楽しい」より「とにかくやろう」モードにすぐなっちゃう自分。

でも以前はそういう自分に気付きもしなかった。
ただひたすらこなすことがいいことだと思ってた。
どんどん自分の心が渇いて、楽しいことがなくなっていっているのに気付きもしなかった。


今のわたしは知っている。そうやって楽しい遊びがただの作業になってしまう流れを。

こりゃまずい。
いやむしろよかったよ、まだ「コブタTVおもしろいな〜」って自分が思えているうちに気付けて。


そもそもコブタって、わたしがただ楽しく生きている日々の、「これいいなぁ」「これ好きなんだ〜」「これおもしろくな〜い?」っていう、友達に話しかけているような、わたしの言葉のようなものなんじゃないかなぁ、って思う。

わたしはいつもいつも人といるのは苦手で、たまにいろんなお友達と交流できるのがとても嬉しいんだけど、ミクシーやツイッターで気持ちを表現することもなかなかできなくて、ブログはどうかな?って思ったんだけど長い文を書くこともままならず。
んじゃ、絵や漫画やなんか色々自分ができる方法で、みんなと共有したい気持ちを表現できればいいな〜・・・あ、なんか番組みたいにまとめたら色んな表現方法使えるんじゃないかしら?ってなって、コブタに行き着いた感じ。

つまり、わたしがただ生きて、日々をエンジョイして、ワクワクと思いついた楽しさや面白さを形にする、っていうのがコブタTVなんだから、アンタ、こなしちゃダメだよ〜!

うん、そうね、こうして言葉で片付けて納得していけることもあるね。
意識ちゃんの得意なとこだね。

手先はちょっと器用なんですが、生きるのが不器用で困ります。

まぁこなしちゃうわたしもわたしだからね。そのままもいいのよ、と受け入れつつ、でもどうせこなすなら楽しもうね!と意識ちゃんと無意識ちゃん、手を取り合って遊んでいけるといいねぇ。

とりあえず、まめに立ち止まろう。
いま、楽しいですか?ってまめに確認しよう。
楽しくないなら楽しくしよう。
まぁとりあえず楽しんでみよう。

天国は足元から!
コツコツいくよ〜!



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まんま受け入れ・・・てみてるよ!

日記
09 /15 2016
前回の日記あたりで、なんでもそのままありのまま受け入れてみよ〜、と、気軽に始めてみたのですが、これ、今のとことてもいい感じです。

今、わたしがYouTubeでやっている3分番組「コブタTV」に、わたしの永遠のアイドルであらせられますオーケンさんが出てくれているのですが、わたしと同じ、オーケンさんファンのみなさんお楽しみいただいているようでとっても嬉しいです!

でもたまにお楽しみいただけない場合もあります。
人それぞれおもしろい、楽しい、と思うことは違うから当然のことです。
で、そういったご意見を頂いた時も、「そうかぁ、そうなんですね、」と、まんま受け入れると、まったく感情的にはならないんだなぁと発見しました。
むしろ見てくださったことが嬉しいし、自分はこう思ったよ、と、発信してくださるほどのなにかそこに情熱があったのかな、と思うと、それはお褒めの言葉をいただくのと同じように嬉しいことだなぁと思ったりします。
(あっ、だからといって積極的にきびしいご意見をくださらなくてもいいのよ、お腹いっぱいです!)

これって、
自分の好きなこと、したいことをめいっぱいしよう!って決心して、
よしっ!ってやってみて、
それ、いやなんですけど!って誰かに言われたとき、の、
自分の在り方、の話かな、と思います。

なんだかんだで人間まわりに誰かしら人がいるわけですし(インターネットなお付き合いも含めて)、なんかすれば誰か反応してくださったりするじゃないですか。
で、わたしも含めてみんなその誰かの反応が少しこわかったり、楽しみだったり、いろいろ思うじゃないですか。

でも実際、誰かに反応してもらった時、それが否定的に感じられたりすると、けっこうキツイですよね。
逆にすっごい肯定的だったら、すっごいうかれますよね。

その時、しっかり自分の感情を感じて、まず、自分に「そうかぁ、否定されたみたいに感じたんだね」とか「そうかぁ、すごいわかってもらえたみたいで嬉しいんだね」とか、まぁその時感じたことを「うんうん、そうなんだね」って受け入れてあげて、
それから、相手も受け入れてあげると、これが不思議なほど、ニュートラルな気持ちになるのです。

あっ、でもですね、ひとつ注意することがありまして、「そうかぁ、そうなんだね」ってひとを受け入れる時、意味を追求してはなりません。

どんなに否定されても、怒られても、悲しまれても、あなたのためを思ってと言われても、そういうのはガン無視です。
なぜならその感情や思いはその人のものであって、自分のせいでも自分のためでも自分との共有物でもないからです。

怒っているのはその人の都合。
悲しんでいるのはその人の都合。
あなたのためを思いたいのもその人の都合。

だからあくまで、「あなたはそうなんですね」って、受け入れるだけです。
じゃあ従います、とかじゃないです。じゃあわたしもそう思います、とかじゃないです。
「へー、そうなの、ひとそれぞれだね!わたしとは違うけど、とてもいいね!」ってことです。
これ、一見すると冷たく感じるひともいるかもしれませんが、わたしはとても大切だと思っています。
「みんな違ってみんないい」ってことです。

ここで「なぜこのひとはわたしにこうするんだろう」とか考えちゃうと、行き着くところは「わたしにもなにかよくないところがあったのかな」とか「どうせわたしが悪いんでしょ」とか「言うこと聞けば安心させてくれるの?」とかもう感情の浮き沈みに左右されまくる無限のこじれ蟻地獄じゃないでしょうか。


断じて、他人があなたの人生に全責任をおってくれることはありません。

自分で自分の人生を守り、ともに歩み、送るのです。

どんな関係であろうとも。
自分とは違う、それでいい、みんなそのままがいい、と、受け入れるかどうか、って話です。


すみません、ここ熱く語ってしまいましたが、わたし多分この辺を勘違いしていて、ずっとしんどかったので、どなたかのご参考になればいいな、って思ってしつこく書いてしまいました。
これもまた余計なお世話かもですし、
いまこれを読んでくださっているかたが、
「えー、あたしはそう思わないんだけど」って思っても、それもあなたそのままです。
ぜひとも「うんうん、そうなんだね」って大切に受け入れてあげてください。


んで、「そうかぁ、このひとはこう感じたんだね、うんうん、そうなんだね」って
自分と同じように他人を受け入れてみると。

なんかわたしはそうすると、顔も見たことない、声も聞いたことないその人が、他人には思えないというか、なんというか、自分と同じに感じるというか、言葉にすると陳腐すぎてもどかしいのですが、「同じなんだな」って思うんです。

自分も、
友達も、
恋人も、
家族も、
知り合いも、
道ですれ違う人も、
まだ知り合いでもない人も、
なんか、
ただ、人間なんだな、
同じなんだな、って思って、
少し優しい気持ちになるのです。

あまりにつらいことも、あまりにうれしいことも、祭りのような気持ちの後は、少し物悲しい。
けれどひとつひとつを「そうかぁ、そうなんだね」って受け入れていくと、そこに残るのはけっこうゆるくてのんびりな、脱力系のしあわせ。

わたしはこれがけっこう好きかもです。


究極奥義「まんま受け入れる」

日記
09 /10 2016
ここしばらくまたブログを書けなかったのですが、それはやはり意識ちゃんの猛反発にあっていたからです。

いや、ほんと、すごい、意識ちゃん!
無意識に生きよう、って思った瞬間に、おいおいおいおい、待て待て待て待て、ってわーっと色んな考え事を用意してくれます。
かしこいのね。

でももうわたしはお利口じゃなくていい。(お利口だったことがあるか定かではないのですが)
おバカで残念で弱くても、それでいい。
受け入れることにしました。
あれこれ工夫もしない。
より良くしようと頑張ったりしない。
ワルでもいい。やな感じでもいい。迷惑でもいい。だれのためにもならなくてもいい。
ただ、ただ、ありのまま、そのまま、このままのわたしを、全部受け入れることにしました。

だから意識ちゃんとも戦わない。
ただ、「うんうん、そう思うんだね、それが心配なんだね、そうなんだね」って、ただ、受け入れるだけ。

ひととも、そう。
ただ、「うんうん、そうなんだね、なるほどね」って、受け入れたい。受け入れるだけにしたい。
それでいいし、むしろそうすることがいままでどうしてもできなかったのかもしれない。
「え、でも、わたしはこう思うし」とか「え〜、それはやだな〜」とか、「ほんとはこう思ってるんでしょ!」なんて、なんともありのままからはかけはなれて、幾重にもフィルターをかけて人と接していました。

今の私って、コブタTV作ったり、歯医者通ったり、たくさん本読んだりばかりで、まぁホント人と接する機会が少ないのですが、最近ようやく、人といろいろ接していきたいな、と思い始めたので、どうぞ皆さん、タイミングがありましたらよろしくお願いいたします。

ようやくいわゆる自然体?ありのまま?で、人と関われそうな気がしています。
私自身ワクワクしています。


自分のありのままを自分が受け入れるのって、言葉にするとフツーっぽいけど、わたしは意味を飲み込むまでけっこう時間がかかって、今もまだやっていけるかふわふわしてます。

すぐ、意識的な自分に引き戻されそう。
でもそのたびに、「そのままそのまま、全部香菜ちゃんの一部だよ、オッケーだよ」って受け入れてってあげたいなぁって思います。
人間って習慣の生き物なんだから!だんだんクセついてくるはず!

ひとに、自分がしてほしいことをする、というのは、このクセをつけるためかも、とも思い始めました。
「わたしがしてほしいのに、なぜにあなたにしなきゃいかんのか!」と堂々と憤っていたわたしですが(笑)、そっか、自分が求めることを人に与えると、無意識は自他の区別がないから、自分にそうしたように覚えるのかも。
それで、ひとにそうして与えていれば、クセがついて、自分にさらりと与えることができるようになるのかもしれない。

わたしたちは、求めるくせに、受け取るのを拒否するから。
求めるものを受け取る準備ができてなくて、無理無理、って平気で受け取り拒否してるくせに、そのことは視界にはいってなくて、ただただ求める方に焦点が定まっていて、「与えられない」って愚痴ってるのかも。

きっと受け取る準備なんかいらないんだろうけど、んじゃ受け取ります!って切り替えできにくいから、人に与えてみることで、準備運動になってるんじゃないかしら。

そう思うと、ほしいものをまず人に与える、って、なんかすごい奥義な気がしてきました。
ま、違うのかもしれないけど、そういうことにして、とりあえず今日をおもしろがってみたい、そんな心境です。

武内香菜

25歳くらいの頃漫画家デビューして、3年間ほどホラー漫画を商業誌にて連載後、うつになり1年間ほど療養。
友人の映像制作会社立ち上げを手伝うなかで会社設立の流れを学び、2003年に(有)ユーデンフレームワークス を設立。在籍中に北米で漫画単行本を三巻出版。2011年講談社アフタヌーン誌にて四季賞を受賞。他、映像作品のキャラクター、衣装デザイン、企画用イメージイラスト作成などの機会をいただいていました。代表取締役として10年間勤務した同社を2013年退職。
今までの人生、いろんなことをやったのに、何がしたいかわからない自分に3年間みっちり向き合った後、2016年7月からYouTubeにて「コブタTV」というおやすみ前の3分間癒し番組を始めました。

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