正直にはずかしいことを言ってみる

日記
08 /29 2016
先日頼まれごとをされたんですよね。(これ日本語あってるかしら?)

その時、まぁ内容的にはわたしに無理のない範囲だったらオッケーよ、ってことだったんですが、
どうも胸がざわざわしてしまって、なんかスッキリしない感じだったので、どういう反応をいただくかはわからないけど、言ってみよう、って思ったんです。

「結論としてはオッケーなんだけど、それはわたしが誰かにそうしてほしい、と思っていることなので、ずるい!わたしがそうしてほしいのに!って思ってはいるよ」って。

でね、「今困っているの?」って聞かれて、それは、「ううん、困ってない」って答えたんです。
実際いまわたしは何も困ってない。
しいていえば最近立場が脅かされて、猛烈に荒ぶっている意識ちゃんのことは困ってるけど・・・

とか考えていたら、なんか、「ずるい!」って思ってたのが、口に出しちゃったことで成仏しちゃったような。

なんか、もうあんまりずるいって思ってないなぁ・・・ってちょっとちからが抜けるのを感じました。



わたしはかなり小さい頃から
「守られたい、包まれたい、安心させてほしい、ほめてナデて甘やかしていてほしい」というとってもとっても大きな願望があったのですが、それは早くに父親を亡くしたせいかな?って思ってたのです。

でも、最近冷静になけなしの記憶から自分の父親がそんなに頼りになる、大きな広いあたたかい存在だっただろうか?と思い出していたのですが、
・・・うん、ちょっと違うかも。
いや、とても素敵なひとでした。
お金持ちの末っ子で、なーんにもできないチャラ男で、お母さんにお見合いで一目惚れして、結婚を機にようやく働き出して、37歳で胃がんで死んじゃった、とっても可愛い人でした。
わたしはお父さんの笑ってる顔しか覚えてません。
それさえ、写真のお父さんを覚えているだけなのかもしれないくらいのあやふやな思い出です。


わたしはその、守ってほしい、包んでほしい相手が誰なのか、わからないのですが、もしかしたら、それは自分ですらなくて、なんていうかその、神様とか、宇宙とか、大地とか、いろんないろんな表現があると思うのですが、なんかそういう、今の私には全然ピンとこない、大きなものなのかもしれないなぁ、と思い始めたのです。

しかもそういうのって、もうすでに守られていて、包まれていて、安心してよくて、ただそこにわたしをホメてナデて甘やかしてくれる「手」のようなものが、すでにあるって、思えばいい、いや、気づけばいい?って感じなんじゃないかなぁ・・・・と、今日はいつもにもましてあやふやな文になってしまうのですが、
その「手」の存在をただ信じれば、それが思考が現実をつくるようななにかにつながるんじゃないかなぁ・・・と・・・

うーん、まだむずかしいかも!
わかんないや!


でも、「ずるいよ、わたしがたすけてほしいのに」って言えたこと。
わたしにはものすごく大きいことだった。
なんだか嬉しいような。
はずかしい、くやしい、歯をくいしばってきたようなことを、ぽろぽろと口に出してみるの、いいかもしれません。
なんか、思ってたより、言ってみると、たいしたことじゃないな・・・ってちからがひとつ抜けることもあるかも。

ちょっと試してみませんか。



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信じると、待てるのかもしれない。

日記
08 /25 2016
「ひとの考えてることはわからないからなぁ」と、先読み、勘ぐり、妄想のたぐいを手放してみると、ひとを信じることがさほどむずかしいことではないのかもしれない、と思えるようになってきました。


「こう思っているんでしょ?」「こうしたいんでしょ?」とひとを読もうと意識ちゃんが張り切っている時って、とにかく自分がせっかちで、よけいなお世話をやいていて、勝手にたいへんがっている感じでした。

それも、今思えば、本当にそのひとを思って行動する、というよりは、「このひとはわたしにこう望んでいるのだろう、期待にこたえなくては関係に問題が生じてしまう、がっかりされてしまう」というなんとも切羽詰まった危機感のようなものが奥底にあった気がします。

ほーんと、ささいな、たいしたことないことでも。

そんでもってホントのホントは納得できてないから、「なんでわたしばっかりこんな大変なことしなきゃいけないんだろう、これだけやってるんだから同じくらい返してくれないとおかしい!」と・・・・・・・・・
お、思ってました!


・・・ね〜、こんなんじゃ関わってくれる人たちもしんどいですよね〜、ホントすいません!

これからずっと謝っていくのもなんですし、そんな頑張ってくれてた意識ちゃんも「必死だったんだね、おつかれさま!」とねぎらってあげたいので、今の、ニュー武内の話ですが・・・

「ひとの考えてることはわからないから、考えるのやめよ!」って、最初、なんかちょっと冷たいような気がしたんです。
「だから関係ないし、わたしはわたしのこと優先で〜!」みたいな、なんか、思いやりない・・・?優しくない?って、ちょっと思ってたんです。

でも、全然そんなんじゃないって、感じてきました。

「ひとの考えてることはわからない、自分の考えてることもわからない」
だから、考えない。
考えないでひとに向き合ってみると

ただ、ありのままの、そのひとが、そこにいる。

生きている。
呼吸している。
水を飲んだ。
のどが動いた。
笑った。
むせた。
眉根を寄せた。

ただ、ただ、生きている、そのひとがいる。
ただ、ただ、ここにいるこのひとを、無条件に信じられる・・・尊敬できる・・・認められる・・・
うーん、言葉にするとなんか違う気もしちゃいますが、なんだろ、全面的に無条件に受け入れてしまえる、それこそ無意識的に。



無意識ちゃんて、特別なものではないそうです。
たとえば呼吸をしている、歩く、手を動かす、なんでも、なんとなくしている生命活動は、無意識ちゃんがやってくれていること。
誰にでも、必ず、無意識ちゃんがいる。
いつも、気づかないところで大活躍していてくれている。
ただ、意識ちゃんのほうが「あ、これ意識ちゃんね」って、”意識”しやすいだけみたいで。

だからつい、人に対してもそのひとの”意識ちゃん”を見ようとしてしまうけど、無意識ちゃんに目を向けると、そこにはただ、ただ、信じられる、尊敬できる、認められる、ひとつのいのちがある。

そしてそのいのちが、なにかを思い、その思いを言葉や形にすることの素晴らしさを、ただ、待てるようになる。

よけいな手出しは無用。
アドバイスなどもってのほか。
空気なんか読んで先回りしてはいけない。

ただ、こちらも、ひとつのいのちとして、あればいい。

ただあれば、いのち同士は惹かれあい、喜びあい、思いやりあい、愛しあえるのかもしれない。


そんな感動はわりと単純にそこここに転がっているのに、意識ちゃんの心配性にとらわれていると気づけないのかもしれない。



親になると人は変わる、とよく言われるのは、もしかしたらこの、「無意識的ないのち」のすばらしさを間近で体験する機会を得られるからなのかもしれないなぁ、なんても、ふと思いました。

身構えず、ただ無意識で生きていよう、
それだけで世界は、いのちのきらめき溢れる美しさに満ちるのかもしれない。



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未来も捨てちまえぃ

日記
08 /23 2016
日々のものごとに直面して気づく、自分のことがたくさんあります。
今日は、わたしがいかに未来、先々のことをあらゆることの選択基準にしていたかを思い知りました。


今に生きる、という決意をしたと思っていたのに、わたしの意識ちゃんはそう簡単に方向転換する気はなかったようです。

「今に、生きますよ?その後起こるであろうあらゆる問題を回避できるように保険をかけながらね?」という意見のようです、意識ちゃん。
う〜ん、もう、へりくつばっかり〜!心配性なんだから、意識ちゃんたら!それ、今に生きてないし!


でも、意識ちゃんには悪いんですが、捨てようと思います、未来。


わたしは「責任」を気にしてるみたいです。
「こう言ってしまったら、起こりうることの責任はわたしにあるな」とか。発想がいやらしい。
とれませんよね、責任、けっこう、自分のことさえも。
ましてやひとの人生の責任なんて、だれもそもそもわたしにそんなこと望んでませんよね。


・・・まだ今のわたしは言葉で説明できないのですが、
なんか、もう無責任でいいな〜って思ってます。

その時心から思ったことを言えばいい。

そしたらなにが起こっても、その時のわたしは本当にそう思ったんだよ、と、誰の目でも見て、はっきり言えると思うのです。

だから、責任とれるかどうかを考えながらうわのそらで話すのをやめよう、
ただ、ひたすらに、その時だけは無心に聞いて、無心に話そう。

それが今を、その人とのその一瞬を大切にしたコミュニケーションになるんじゃないかなぁ、って思います。

「あなたあの時こう言ったじゃない!」って言われたら、
「あの時本当にそう思ったよ、今はこう思っているよ」って、また、今を大切にすればいい。

とれるかどうかわからない責任なんか感じて、あれこれ考えながらのコミュニケーションを。もう捨てよう、と思いました。


そしてそれは、よくわからない未来を想定してあれこれ考えながら、生きるのを、もう捨てよう、につながりました。

同じな気がするから。
ひととのコミュニケーションも、
自分とのコミュニケーションも。

ひととは、ただ、ひたすらに、その時だけは無心に聞いて、無心に話し、無心に関わろう。
自分とは、今、この時、本当にそうしたいと思うことを、ただひたすら無心にやればいい。

だからもう、未来なんか、捨てちまえぃ!と思ったしだいであります、本日のわたくし。


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カベをこえるんじゃなくてこわす

日記
08 /20 2016
昨日は自分にとってすごいことがありました。

「自分にとってこれをするのはないな〜」と思うような、結果がこわい、でもホントは、うまくいくならやりたい、だからもうちょっとこう実力がついてから・・・とか、これができるようになったら・・・ちょうせん・・・するかも・・・
ってくらい、ビビってしまうこと、ありませんか。
わたしはたくさんあります!えへん!

昨日起きた時、今のわたしにとって、一番ありえないことってなんだろう?と思ったら、ひとつ思い浮かんだのです。

いや〜、ないわ〜、それをするにはせめてこれくらいの自信とか数字がほしいよ〜、って思ったこと。

まぁコブタTVに、あるかたに「出てください」ってお願いすること、だったんですが、
「そっか、ここで自信とか数字とか言ってたら、多分このままなんだな、もう結果とかどうでもいいから、やっちゃおっと!」
と、急に勇気を出すことにして、メールしました。

飾らず、卑屈にならず、素直にお願いしてみよう。

そう思うこと自体、わたしにはとても新鮮でした。
(はずかしながら、頼ったりお願いするのがへたくそでして、ただいま練習中です!)


えーいっ!


ふ〜、送った!送っちゃったよ!

こんなにドキドキしたのは何年ぶりでしょう。
なんだか笑いがこみあげてきました。
はははは、やったー!もうどうなってもいいぞー!

本当に、心からそう思いました。

すがすがしい気持ちで、友人とのランチに向かったのですが、そこでメールの返信をいただいたのですが

いいよ!って書いてありました。

「え???!ホント?!うそ!うわ〜〜〜〜〜〜〜!
す、ごーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく嬉しい!!!!!!」

↑こちら、声に出して言った感想です。わたし、大興奮!

すごい!すごい!
自分にとっての奇跡のようなできごとでした。
まだ撮影のめどもたってないので、本当に実現するかはわかりませんが、無意識ちゃんと楽しく遊んでいたらすぐ実現しそうな気がします。



このとき思ったことがあります。
カベって、色んなカベがあるけど、自分の中のカベに、越える準備はいらないのかもしれない。

小さなブロックをこつこつ積み上げて、よいしょ、って柵みたいに越えられる、って思ってから行こう、なんてしてると、ブロック積んでる間にカベが老朽化したり、カベ自体が越えたいものでなくなっていたりすることもある気がします。

だから時には、うりゃ!とワンパンで破壊しちゃえ!っていっちゃうのもいいのではないでしょうか。

もしかしたらカベは壊れず、拳が壊れるかもしれない。
でも、それでも、やってよかった、と案外思えるものなのかもしれません。

そんなカベを感じた時、ちょっと無意識ちゃんにおうかがいをたて、「いっちゃおうぜ!」と声が聞こえたら、
いってみませんか、カベの向こう。







わからないって、なんかすごい!

日記
08 /19 2016
昨日はうれしいメッセージをいただきました。

もうしばらくお会いしていないかたからで、いつもブログを見てくれていること、ちょうど同じように思うところあり、共感してくれていること、そして「意識ちゃんと無意識ちゃん」はおもしろいから、マンガを描いてみたらどう?と、とてもすばらしいアイデアまで!

うれしいなぁ、本当にうれしいなぁ。
無意識ちゃんが小躍りしているのを感じます!


意識ちゃんと無意識ちゃんのことはたしかにマンガとかにしてみると、今までの「楽に生きよう本」にはなかったアプローチができたりするかもしれない!
なにより、描くことでわたしのなかに無意識ちゃんを中心とした生き方が根付いてくれるかもしれない!
つられて同じようにお困りの方も、楽になれる可能性があるかもしれない!

貴重なアイデアをありがとうございます・・・!!



こういう「いいな!」と思ったことにヒョイと乗っかってやってみる、って、今までのわたしには少なかった気がします。
「え〜でもなぁ、ああしてこうして・・・たいへんかもな〜」とたいへんな部分のイメトレだけがヒョイと出てきて、ゲンナリしてしまって「無理〜」ってなってたかも。

昨日は、そうは思いませんでした!

・・・うそです!
白状しますと実は一瞬、「実際描くとしたら・・・」と意識ちゃんが考え始めたのですが、「いやいや!わかんないじゃん!スラッスラ描けるかもしんないじゃん!」て、無意識ちゃんがちゃんと主張してくれたのです。


「わからない」というのは、無意識ちゃんにとってネガティブなことではありません。
「未知の可能性」「おもしろそう」というステキなものなのだと思います。

同じ「わからない」でも、意識ちゃんにとっては重大な問題です。
「安全を脅かされる可能性」であり、これ以上はない不安、そして恐怖の要素なのです。

この「わからない」にどうもポイントがあるようです。
わからない、を大切にしてみる。
わからない、からこそやってみる。
わからない、なら見てみよう。
わからない、でもまぁいっか。

わからないことがあった時こそ、意識ちゃんと無意識ちゃんの存在を感じる機会な気がします。


「あの人はこれについてどう思っているかしら?わからないわ。」

そう思った時、きっと意識ちゃんなら、「これこれこう思ってるに違いない・・・いや、さらにこうなんでしょ!どうせ!?」などと人の心の内をエスパーするでしょう。

無意識ちゃんなら、「まぁ人が思ってることなんてわかんないからな〜、わたしがどう思ってるかも、わかんないかも!あはは〜!」と・・・そう、はっきり言ってしまいましょう、無意識ちゃん、興味がないんだと思います!


え、それまずくない?って、そう、わたしもそう思っていました。
でもそれこそちょっと考えてみてください。
人の心が読めないことって、問題でしょうか。
だって、読めないですよね、心。
(もし読めてしまう能力がある、というかたはホントすいません、否定する気はないのです)

読めなくても、ひとを、そして自分を思いやり、尊重することはできると思うのです。
むしろ読んでないからこそ、そこにいるありのままのそのかたを、丸ごと尊敬することもできるのではないかと、今は感じ始めています。

だって、わかんないんだから!
そっか、わからないって、すべての源ですもんね!
すごいですよ、わからないものの秘めたるパワーは!!

そう思ったら、なんだかすべての人、もの、こと、は、「なんかすっごいんだな〜・・・!」て、敬意の対象として見えてくるのです。

そしてそれが「興味」なのかもしれないと、なにに興味があるかすらわからないほど疲れていたわたしが、今思い始めているのです。

いや〜も〜ビッグバンみたいな感じ、わたし内ビッグバン。


意識ちゃんは頑張り屋さんで、わたしを守ってくれようといつも一生懸命なので、危険回避に全力です。だからわからない、という不安要素は徹底排除したいのだと思います。ありがとうね、意識ちゃん。

無意識ちゃんはのんきお気楽ノーテンキですから、わからないことはただわからないだけ。それより今したいこと、おもしろいこと、ワクワクうれしいことを感じて動くことでいっぱいです。いいなぁ、無意識ちゃん。

どっちじゃなきゃいけない、とかじゃなくて、わたしはまず、無意識ちゃんのノーテンキパワーを楽しみたい。
でもどうにもそれはやめといて!ってことがあったら、意識ちゃんの意見も取り入れたいな、と今は思っています。


今日も元気によろしく、無意識ちゃん!
見守っててね、意識ちゃん!





武内香菜

25歳くらいの頃漫画家デビューして、3年間ほどホラー漫画を商業誌にて連載後、うつになり1年間ほど療養。
友人の映像制作会社立ち上げを手伝うなかで会社設立の流れを学び、2003年に(有)ユーデンフレームワークス を設立。在籍中に北米で漫画単行本を三巻出版。2011年講談社アフタヌーン誌にて四季賞を受賞。他、映像作品のキャラクター、衣装デザイン、企画用イメージイラスト作成などの機会をいただいていました。代表取締役として10年間勤務した同社を2013年退職。
今までの人生、いろんなことをやったのに、何がしたいかわからない自分に3年間みっちり向き合った後、2016年7月からYouTubeにて「コブタTV」というおやすみ前の3分間癒し番組を始めました。

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